水難救助からレーニン生誕まで
2. 処女地開拓記章
処女地開拓記章= D・チェルノフ/ロシア通信
この記章は、ソ連の歴史に関連しており、1955~1965年、国家は、穀物の増産を図り、盛んに処女地(未開墾地)を農地に変えていった。処女地開拓記章(1956年制定)は、主に、処女地の開拓に人一倍勤しんだコルホーズ員や党の職員に授与された。
もっとも、例外もあり、たとえば、世界初の有人宇宙飛行に成功したソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンも、この記章を受けている。しかも、それは、宇宙飛行後のガガーリンにエンゲルス飛行場で授与された最初の褒賞となり、その後、この記章は、多くの宇宙飛行士にも着陸の場所で授与された。
4. レーニン生誕100年記章
レーニン生誕100年記章 / タス通信
「レーニンは常に生き、レーニンは常に君と」ソ連には、こんな歌があった。フルシチョフは、スターリンに取って代わり、ブレジネフは、フルシチョフに取って代わることができたが、「世界のプロレタリアートの指導者」は、共産主義の主なシンボル、完全無欠な権威、そして、「極めて人間的な人」であり、その生誕100年(1970年)に因んで特別の記章が制定されたのも、頷ける。
この記章は、軍人としての献身(軍人)および献身的な労働(軍人以外)に対して授与され、その対象となる人は、「労働の高度な模範を示した、労働者、コルホーズ員、国民経済の専門家、国家機関の職員、科学や文化の活動家」と幅広かった。
レーニンの記念日に、政府は、気前よく5千人の外国人を含む非常に多くの人に褒賞を授与し、この記章の受章者の総数は、現在のベルギーの人口にほぼ匹敵する1100万人以上となった。もしもソ連が崩壊しなかったなら、ソ連当局は、2020年のレーニン生誕150年を記念する褒賞をどれくらい振る舞ったことだろう。
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